「心の言葉」があること [読書(エッセイ・コラム)]
(草柳大蔵著:きれいな敬語羞かしい敬語を読んで)
敬語が社会の潤滑油であるとは、よく言われます。
潤滑油は、なにに効くのでしょうか。
(高田敏子さんの座談での話より)
- 伝達の言葉
- 心の言葉
ということです。
次にあげる二つの例は、「心の言葉」(シンボル、に近い)を使ったときと「伝達の言葉」(サイン、に近い)。を使ったときの、反応の違いから説明してくれています。
例1:「”お茶を飲みなさい” と言われたときの返事は”はい”ぐらい。」
「でも”どうぞお茶を召し上がれ”と言われれば、”ありがとうござます。”という風に今度は感謝の言葉が出ますね。」
「何かそういう意味で敬語というものの、ある必要性みたいなものを私は感じるわけです。」
「心の言葉が添わることで、何か優しさとか楽しさとか美しさとか……。それから会話自体も少し敬語が入った方がイントネーションとか響きが美しくなるのではございませんか。正しい敬語の場合は……。」
そうですよね。「召し上がれ」といわれたら「どうも」くらい自然に出ます。
マジックですね。
例2:
「私の知っているおばあちゃまで、
”うちの嫁はご飯や何かをちゃんと作ってくれるけど、まるでイヌやネコにくれるみたいに出す”
と言うんです。」
「私、それを聞いたとき、このお嫁さんは
”おばあさん、ご飯です。”
とか
”できました”とだけ
言うのだと思うのです。」
「それに心の言葉をつけて 、
”お待たせしました”
とか
”遅くなりました”
とか
”ちょっと冷たいけど”
とか……。そう言って
”いかが”
と言ったときは、きっとイヌやネコにくれるみたいには思わなかったでしょう。」
著者は、
「敬語を使うのは使う人の心の動きによるものであって、
- ありがたいと思う心
- いとしいと思う心
- 無事を祈る心
- 疲れをねぎらう心
- すばらしいと仰ぎ見る心、
等々、人間であれば誰でも持ちわせているもの」であると伝えています。
「「敬語」はもちろん、普段でも使われる言葉は、それを使った人の「生き方」そのものなのです。」
「学歴とか職歴とかはあまり関係ありません。」
「学歴の高い人でも、嫉妬深い人はいつも攻撃的な言葉を使いますし、」
「虚名ばかり高い人は偏見と独断の表現を口にしても少しも愧(は)じるところがありません」
なんか、言葉遣いに腹立つこと、あります。
無礼!失礼なやつ!って思うこと。
それは、
敬語の使い方を含む、言葉遣いが無礼なときと、
丁寧で敬語の使い方があっていても、心の中にドロドロっとしたものがあるとき、
両方です。
あとのやつは、慇懃無礼って言われるやつですね。
敬語は、美しい敬語・綺麗な敬語でなくてもいいのです。
心がこもっていれば。
川端康成
『伊豆の踊り子』に出てくる踊り子なりの敬語…
『雪国』に出てくる芸者なりの敬語…
「踊り子も芸者もつらいことばかりで、美しい敬語・綺麗な敬語など覚えるひまもなかったろう」
「はじめて人を思う機会がめぐってきて、
さて、そのとき
胸にせきあがってくる思いが言わせた言葉が
敬語になっているのである。」
「敬語を日常語として使っているその息遣いを読み取ってほしい」
、と、著者は巻末で抜粋を紹介しています。
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