殻を捨てれば自分だけの仕事が見えてくる [実社会にて]
名声を求めれば
名声のために束縛されるようになる
そんなことに気を取られていると
人生の一番の楽しみは
どんどん遠ざかっていくだけ
今までの殻を捨てれば
自然に
自分の生きる道や
自分だけの仕事が見えてくる
4月、ビジネスパーソンの中には、配置転換で異動した人や、中には新しい会社に入った人も多いことでしょう。
私も、この4月1日から、ある係を任されることになりました。
この異動は私にとって、腑に落ちるまでに、ずいぶんと頭を悩ませ、体を痛めそうになったのです。
話は昨年10月にさかのぼります。秋に、おおきな異動をしたばかりでした。
営業だった私がいきなりサービス部門に配置転換されることとなり、最初は会社からクビの宣告かとも思い、本当の事情を知りたいと、退社も覚悟で部長や人事に尋ねました。
すると、サービス部門の部門長が直接、私のこれまでの経歴を見て、引き抜いた、という話をしてくださいました。
『これからはサービス部門も、顧客のニーズをふまえて活動していかないと、製品が減っている現状では、それにあわせて仕事が無くなるだけだ。 顧客へのアプローチを進めるには、営業現場、営業推進などの経歴の人が必要で、あなたに来てもらうことにした、と。』
大変にありがたい話です。断る理由もありません。
もう一つ嬉しいことを言ってくださいました。
『あなたに半年後、現場を任せようと考えている。それができるようになってもらうのが、私の期待だ。それまでも好きなようにやっていい。』
ということまでおっしゃっていただいたのです。
これ以上ありがたい話しはありません。
異動には当然、承諾いたしました。
あそこまで言っていただいて動かない理由はなく、10月から仕事が始まると、いい方にとらえて、私はある程度自由に発想し、それでいて課長や部長の意向に沿うように意見を上げ始め、ある時は動いていきました。
ところが、課長へは仕事のいくつかを代行しつつ、いろいろ「これをやらせてほしい」と伝えましたが、それに対するリーダー役は彼が次のマネージャーに推している人にあたえ、私には補助をして、程度で、最後まで閑職を与えられるばかりでした。
それでは、と、部長に相談しようとしたのですが、ご自身もやはり動いてきたばかりで「課長と相談してからあげてこい」ということです。
ここで、さらに部門長まであげるかどうか、真剣に考えました。
そして、ことを為すには、現場に近いマネージャーの考えを尊重しようと、決めたのです。
部門長がどう見ていてくれるか、不安ではあったのですが、とにかく実を取ることが大事、と周囲の調和を選びました。
2月末、春からの人事が発表され、私は隣のグループ、それは3月までは課だが、4月からは係に縮小され、今いる課に統合される10名弱のリーダーでした。課長は、やはり技術系、さらに組織を変える中心になるグループリーダーは、若手が大抜擢されている。
半年間、役職というより、いまいる組織をどう時代に合わせて変えていくかを考え続けた私は、いわゆるはしごが外された思いでした。
うーん、なぜ…
サービス部門といえば、技術者集団。ここに、部門長が営業出身で、新しい部長が営業出身、さらに、課長まで営業出身者で固めて、組織が果たして回るのだろうか、現場のメンバーは納得しないのじゃないか。
でもそれは、昨年秋から、半分わかっていたことではないだろうか…
いぶかる気持ちがあたまをもたげつつ、でも、任される係は元は課だったパフォーマンスを持つ組織。
そこを切り盛りできて、初めて、なにかが言える、という気がしていました
名声を求めれば
名声のために束縛されるようになる
そんなことに気を取られていると
人生の一番の楽しみは
どんどん遠ざかっていくだけ
課長や、中心になるグループのリーダーでなくても、いいじゃないか。
課として、発展していくよう、それに尽力できればしあわせだ。
上記の言葉、老子の「善く行くものは轍迹なし」、私的に解釈すれば、「為して名を残さず」ということだ。
これを唱えるようにして、仕事をしよう。
決まった今度の立場で、名を残さなくても、実を残すように、若いリーダーに助言したり、ベテランの技術課長に進言して、喜ばればて組織をバックグラウンドから動かすほうが、ずっと楽しいじゃないか。
もし、なぜ私に任せない、とか、私の意見はこんなにはっきりしていて、とかいう態度に出れば、うるさがられて、結局はいづらくなるだけだ、とも。
そして、新しいグループを切り盛りさせてもらえるチャンスが与えられている。そこをどう切り盛りするか、これに集中しよう。
そう決めて、1ヶ月間構想を練って、4月1日に部長に新グループの構想を話しました。
じつは気にしてくれていた部長は「着々と(構想が)進んでいるね」と言ってくださいました。
そして、この言葉が、飛び込んできました。
今までの殻を捨てれば
自然に
自分の生きる道や
自分だけの仕事が見えてくる
半年前の部門長の「期待」や、半年間の「構想」を練った自分、という『殻』を脱ぎ捨て、どこの場所に自分の性質や特徴を生かすことができるか、それがなによりの自分の満足につながる、そう気づくことができたのです。
今回、老子の言葉、それを現代の言葉にした、早島天来氏の言葉、それをまとめた早島妙瑞氏の本に救われ、そして、前向きに進むことができそうです。
次回、老子の言葉「善く行くものは轍迹なし」について、詳しく書いてみたいと思います。
『タオのひけつ』自然のままに生きることを心の健康にあてはめる [実社会にて]
「洗心術」は、頭の切り替えのトレーニングです。
日常のなかで仕事や人づきあいに悩んだり、見栄を張ったり、欲に苦しんだりして、様々の心の葛藤が生まれます。 これらの我執を私(著者の早島妙瑞道長)や早島妙聴副道長との対話を通して整理しながら、心を洗う体験をしていただくとよいのです。
「気の導引術」「道家動功術」の二つは、体の面から入るトレーニングでした。
体の調子と、考え方や感じ方、つまり心の調子は、密接に関連しています。
現代人は心と体を別々のものであるとつい考えがちですが、じつは気の作用は、心と体のすべてにつながっています。体が病めば心もふさぎます。心の中につらいことがあれば、体の機能も滞ります。仕事のストレスがすぐに体調に現れるという人もめずらしくありません。
これは経験たっぷりしました。
昇格すれば元気いっぱい働くし、飛ばされそうになると、寝込みたくなる。
もっと単純にいうと、おいしいものを食べて満腹になれば心も幸せですし、空腹だとイライラしてきます。お風呂にゆったり浸かって、体がぽかぽか温まっているときには、好きなメロディを口ずさむことはあっても、誰かと大げんかをする気にはとうていなりません。
このたとえ、温泉の人気の理由として、ぴったりですよね。
私も、温泉入って、割烹料理を食べて、もう人生極楽って感じ、そんな年末でした。
温泉の中でまるで地獄の釜でゆでられているみたいな、どんよりした顔、
人生についてくらい顔をしているのって、なんだか想像しずらいです。
いつもこうして、ぽんと切り替えられれば、気になっていることも大げさに考えることもなくなりそうです。
洗心術の中のメニューのひとつは、
まず理屈ではなく、体を整えて気の滞りを取ってみることです。すると、体調はもちろんのこと、プライベートでも、仕事の現場でも、心のあり方が変わってくるのです。
ということを学ぶことです。そして、理屈抜きに、用意されたメニュー、体を整える「気の導引術」「道家動功術」に懸命に取り組むことの大事さを理解することでもあります。
さてそして、心の持ち方も、話し合いを通してですが、自分をみつめて、自分の中から答えを出すのが洗心術です。
そこで出た答えというのは、私や誰かが「こうしなさい」と教えたことではありません。
「この答えは、あなたが出したものです。あなたの中に答えがあったのです。勇気をもって、それを言葉にできたのですから、あとはそれを実践するだけです」と私は言います。
洗心術の講座に出て、自分の質問もそうですが、他の人とのやりとりを聞いていると、だんだん安心した気持ちになってきます。
おそらく、考え方や話の流れが自然なのだと思っています。
そして、早島妙瑞道長や早島妙聴副道長は大局観のある話し方をされるからでしょうか、「無為自然って、論理的だ」と思ってしまいます。
こんな例が載っています。
現代のビジネスマンやOLたちは、たいへん勤勉です。評判の本があれば読んでおこうと思って手に入れ、英会話も身につけたいと願って学習をし、パソコンの勉強もおこたりません。しかし、朝から晩まで机にかじりついても、自分がやれる範囲は限られているものです。
たとえば、すでに右手と左手に荷物を持っていれば、三つ目の荷物は持てません。そのように無理して抱え込もうとするのではなく、まずは手に持っている荷物の一つを置いて、新しいものを持つことです。
それが我執のない生き方です。これを(前述のように)道家では「放かす」といいます。
捨ててしまうのではなく、放かしたものはちょっと置いてある状態にして、また必要があれば、手に取ればいいのです。
3つめの荷物がもてない、と嘆いている人、悩んでいる人、多そうです。
私は、このとおりの体験をしました。これが、このブログのサブタイトル
「40歳からの大あわて勉強会」
につながります。
私が入社した頃、「これからは英語とパソコンだ!」と言われていました。
不本意だった管理に配属になっていた私は、
「会社で大きくはばたく努力ポイントは、これか!」と思って、休暇を使ってサンフランシスコのベルリッツに短期ホームステイし、会社から帰っては、最新のインターネット(ICT)技術を学ぼうとしました。
そして、なんとかその部署を抜け出して、おおきく羽ばたけそうな部署を探して出て行こうと、入社一年目から考えていました。
もちろん、自分磨きや、コミュニケーション等の能力向上もめざしていたのですが、手が回らなかったのです…
…ようやく、英語とICTをアピールして別の部署にたどりつくと、なんと、人間的・能力的に未熟と言うことで、いったん決まりかけたらしい海外赴任の話も、なしになってしまいました…
自分の得意不得意を見極める、性質を見極める、といった、自分のプロデュース戦略が、あきらかに甘かったといわざるを得ません。
多くの人は、仕事をするにあたって、「将来性がありそうなしごとだから、やってみたい」とか、「この資格を取っておくと有利だ」というように、周囲の意見や世間体で動いてしまいがちです。
しかし、そんな人間にも得手不得手がありますから、自分のできるところは一生懸命にやり、苦手な分野は人に聞けばいいのです。そして、助けてもらえばいいのです。
「自分は、こんなことができなくて恥ずかしい」といった気持ちを持つ必要は、毛頭ありません。そういう我執をスッと放かせば楽になります。そして放かせば放かすほど、本来の自分にもどっていくことができるのです。
そして、「我執を放かす」というのは、自らの内にあるこだわりの心を放かして、あるがままにすごすことですから、気のめぐりがよくなり、仕事でも人間関係でも、どんどんよい形で回っていくようになります。
リラックスして我執を放かし、心に余裕をもてるようになると、無為自然の生き方ができるだけでなく、自分が楽になり、楽しくなっていきます。
放かして、放かして、無になって、見栄や執着を捨て去り、この世の人生を楽しく送っていく。それがタオの生き方です。
その時必要だったのは、身につけるよりむしろ、放かして、人生を楽しく豊に送る方法をさがし、学び、仕事をとおして実践すること、だったのです。
たとえば洗心術では、「今の仕事がイヤでたまらない」という悩みについて、よく相談されます。
そこで私が答えるのは、「いやだいやだと言うのではなく、まず徹してやってみなさい。真剣に行ってみなさい」ということです。
中途半端であることがいちばんいけません。とことんやってみて、それでもイヤならば、ほんとうに嫌いな仕事ということですから、辞めればいいのです。
ところが、いったん覚悟を決めてやってみると、案外、つらかったはずの仕事に何かが見つかるものです。そして、「もうちょっと頑張ってみようかな」という気持ちが自然と湧き上がってくるのです。
うーむ、当時、徹してやる、見極めるという覚悟が足らなかったなー。
体の調子が整っていなかったこともあるかもしれませんが、なにより、たしかに覚悟がなかった。
どちらかというと、
「学力があれば、仕事のスキルも能力も学べる」
という、あきらかな思いこみ=我執=が、大原因だった…
学力がほんとうにあったら、そのとおりになっているわけで…
ずいぶんと、冷やかに笑われたものでした。
さらに異動後の6年前も、「残念な奴」と結構上の上司に言われました。
けれど…これらの大失敗は、ちゃんと役に立った、と今は思っています。
「笑われたくない」という気持ちは、一種の見栄なのですが、そのような気持ちはよくわかるという方も少なくないことでしょう。しかし、見栄は我執の中でも最たる我執ですから、これを捨てるとほんとうに楽になります。
また、人に笑われるというのは、じつは大きなチャンスでもあるのです。何かを話していて、足りなかったり間違ったりすると、みんなが笑いますから、そのことによって、「あ、私はここが勉強不足だったな、これができていなかったんだ」ということに気づくのです。
人は誰でも自分がいちばん正しいと思いがちですから、そうした自分の不足がわかれば、成長へのきっかけになります。そこを一生懸命に治せば生涯忘れませんし、一歩先へ出られるのです。
十回笑われれば、十回磨かれます。ですから私は、人に笑われることが好きなのです。
…言葉を学びたい…会社における基本、コミュニケーション能力を身につけるには、言葉の力が大切だと思いました。その思いから、このブログを立ち上げ、本で読んだだけでは身につかないと思ったので、感想など記録を残すことにしたのでした…
『三国志』を読み直していると、2007年に読んだときと比べても、王朝の人間関係の表現が言葉から明確に読み取れるようになりました。
…自然な言葉を発するようになりたい…そのために自分を磨くしかないと思い、いっそう3つのトレーニングに励んでいます。
思いもかけない言葉が出てしまうことは、ほぼ無くなりました。
なかなか「好き」を見つけられず、前向きになれないこともあるでしょう。そんなときは、自分の中の気が滞っている証拠です。くよくよするより、たとえ小さくても、人生の中の「良いこと」に目を向ける習慣を養いましょう。
それはたとえば、「会社に行ったら花が一輪生けてあって心がなごんだ」というようなことでもよいのです。また「今日は雨が降ったけれど、お気に入りの傘をさせて、良かった」ということでもかまいません。
そうやって、ささやかなことにでも、あなたが幸せを発見していくと、その都度、自分の内側に滞った気が少しずつ動き、ごく自然と感謝の気持ちがわいてくるようになります。
精一杯営業に回っても、なかなか売り上げの上がらない中、そんな気持ちで過ごしていたら、この10月に社内で、営業からサービス部門に異動になりました。
めずらしいパターンなので、人は驚きますが、私としてはこれまでのICT知識や学んだビジネス論が生かせそうで、その部署の内容に大変満足しています。精一杯やらせていただきます。
こういう気持ちになれたのは、タオのひけつを教わったからであることは間違いありません。
思い通りにならないことも多いのですが、「十回笑われれば、十回磨かれます。」という気持ちを忘れず、毎日に取り組んでいこうと思います。
『タオのひけつ』日々のビジネスライフにタオイズム~道家動功術編 [実社会にて]
タオのひけつ―無為自然の心と身体が人生をひらく
の3つの気のトレーニングの一つ、道家動功術とは、健康増進のための武術です。
その稽古では、
二人の人間がお互いの気を感じ取りながら、手をとり、足をとって、技をかけることによって、それらを本来のよい形に調えていきます。
「灸所」に技をかけることによって、気のめぐりがよくなるのです。
この灸所は針灸のツボのことですが、それはまた武道・武術の急所のことでもあります。
これまで武術と無縁だった方でも、すぐに、無理なくはじめられます。
人には多少なりとも、必ず左右のアンバランスがあるのですが、ツボに技をかけて動きのクセを改善し、気を整え、人との間合いの取り方が上手になります。
というような考え方、やり方をします。
道家動功術では、一見、相手と対立しそうな構えをとります。しかし、相手と向かい合ったときに、相手に勝とうとか、相手を投げてやろうという、対立の気持ちはまったくありません。
それは、”自分に強くなる”修行であって、断じて、”他人に強くなる”ための修行ではないのです。
たとえば相手が突いてきたら、それをはずします。また、相手が足を出したら、こちらは足をひきます。あなたはけっして、手や足を出して争う必要はないのです。傍からはどんなに対立に見えるような場にあっても、けっしてそれを対立とはしないのです。
「柔よく剛を制す」といいます。『老子』第三十六章には「柔弱は剛強に勝つ」、また第七十八章には「柔の剛に勝つ」という言葉が見られます。
それはたしかにタオイズムの真理であり、武道の極意でもありますが、道家動功術はさらに、そうした勝ち負けの世界を乗り越えたものです。相手と稽古することで、相手と対立しない、自然に調和した生き方が身につくのです。
それは、勝者もいなければ敗者もいない、また強者も弱者もいない、究極の武道の姿であり、そしてまた無為自然のあり方でもあるのです。
正直なことを申し上げますが、わたしは劣等生なので、長いこと、力いっぱいえいやっと技をかけていましたし、相手の動きに合わせるより、自分の強い形(と思っていた)で受けていました。
それが…囲碁を始めてからでしょうか。
囲碁は、白石と黒石で競り合って、自分の領土や領土の境目をつくるゲームです。
場合によっては相手の石を殺して、碁盤から取り上げ、追い出します。
けれど、囲碁は上達してくると、
相手が離してきたら、離して打つ~
簡単に石を取り合うような場面にしないんですね。
相手がくっつけてきたら、くっつけて打つ~
接触してきたら、こちらも逃げずに勇気を持って打ちます。それでも、殺すのは最後の手段です。
接触した際の「定石」というのがあって、その目指すところは、
相手の打ち方が理にかなった自然な手なら、こちらも自然な手で打ち返して、
領土問題・国境問題を平和に解決します。
囲碁の基本では、簡単に殺し合わないだけではなく、簡単に痛めない、ざくざくにしないんですね。
つねに、その場その場で適度な間合いをとったり、適度な接触の仕方をして、
見ての通り、自然な打ち方をしています
それでも欲張って、もっと領土を望んで入ってくるのですか?
しっかり力を蓄えて、簡単には死なないのが、自然な形の強さです。
そちらがもし無理をしたら、かえって損をするか、場合によっては死にますよ」
と打つのです。
そして、
相手が盤の端の方で領土をほしがったら、
それがささやかな大きさなら、ですが、
無理をしてそれを殺しに戦うのではなく、
譲って、
自然な形で中央の側に自分の領土の境目を築く。
相手の領土は、盤の端に封鎖してそれ以上領土拡張を望めなくするのが正しい打ち方とされています。
ある日、これに気付いてから、道家動功術では間合いを気をつけて、そして、必要以上に強くやり過ぎないように稽古をしました。 すると、会社のコミュニケーションで、人との間合いの取り方がわかったようなのです。
昔からよく知っている理論派でプライドの高い後輩と仕事をしていました。
ある日、彼の所属する課と私の課で利害が一致しないことがあり、間接的に彼が自分の立場をないがしろにされたと感じたようです。
彼が私に反発してきました。すごい目で睨んできます。これは実は、10年前にもあったことなのです。
10年前は、役割や立場を話して、「なにか文句あるか!」と押さえつけたので、その後彼がマネージャーにわたしをあまりよく言わなかったらしく、私とマネージャーの関係悪化にまで至ってしまいました。
今回、その間合いを稽古して、「のれんに腕押し」の感覚を身に着けていたので、彼が不満に思っていることを私なりに考え、それを尋ね、彼の心証を害したことを詫びました。
1,2週間して、まだ彼がコワい目で睨んでいるので、「何を怒っているの?」と尋ねたら、「そんな風に聞かれて逆に困る」というのです。
しかし、ここでまた、間合いを考えて、
「それは違うだろう、目が怖い」
と、昔の私ならきっと言っていたと思うのですが、今回は
「彼がそういうなら、そう受けとろう」
と、イライラもせずに、納得できました。振り返ってみると、彼が
「抜いた刀を鞘に納めるのを後押しした。」
ことになったと思います。
「なにを~先輩に」とかかって行ったら、プライドと頭脳抜群の彼は、まっこうから受けて立って、対立が深まっていたことでしょう。
この感覚は、まさに道家動功術の稽古で身に付けたものでした。
実はこの10年の間に、囲碁をはじめたので、間合いの重要性に気付いたのですが、やはり、できなかったことができるようになるのは、体で身につけたほうがずっと早いに違いない、と思いあたり、稽古の心構えを変えたわけでした。
そしてきっと、力の入れどころも、稽古で身に着けられたのかもしれません。
よく武道の極意として、「力を抜く」とか「脱力する」ということがいわれますが、これは全身の力を抜くという意味ではありません。
たとえば相手の胸元をつかむとしても、五指にギュッと力をこめて握ってしまうと、いざという時にサッと動けません。道家動功術は必ず軽くつかみます。その時には、小指の動きが非常に大切なのです。(中略)
なにごともギュッと握ると、実は弱いものです。軽く密着して持つことによって、どんなん状況にも対応でき、また自分自身にも強くなれます。
道家動功術では、そういう、すべてのことに当てはまる極意を、稽古の中で自然と身につけることができるのです。
最初に入会したときは武術ができるなんて、思ってもみなかったので、男として、またスポーツ音痴気味だった私には、とてもうれしかったのも、思いだしました。
ただし、稽古は男が多いかというと、時代の流れか、道家動功術の特徴か、女性に人気があるのです。
ほんとはじめてよかった、道家動功術でした~
洗心術、それから、囲碁とタオイズムの関連については、また別の記事でアップします。
『タオのひけつ』日々のビジネスライフにタオイズムを応用 [実社会にて]
混迷の時代、マイケル・サンデル教授をはじめとした、わかりやすい実践的な哲学が注目されていますが、東洋的なタオイズムを日々の生活に応用する本です。
はじめに、では、冒頭に下記のように書かれています。
そうあってほしい、と、もちろん、心から願います。けれど、さて一体、どうやったら「楽しい前向きな生き方」ができるのか…それができたら苦労しない…
それにこたえるノウハウというかプログラムというか、メニューというか、が、この本でも紹介されている、老荘思想、タオの教え(すこしかたく言うと、道家の哲学)を実戦に応用できるよう練られた
「気の3つのトレーニング」
なわけで、実践して何年か経ちますが、どれも、みごとに効果がありまして、私の場合はそれぞれ、月一回・日々・週一、二回という感じで定期的にやっています。
けっこう即効性があり、ビジネスライフに組み込んで活用して助かっています。
まず、導引術。
です。「気のめぐり」って、というのは、
というような感覚です。私的には、体の中がつまっている感じ、が、「気のめぐってない状態」で、その反対にすっきりしている感じが、「気のめぐっている状態」、さらにエネルギーがあふれている時が、「気がよくめぐっている状態」でしょうか。
で、その導引術を、(朝もやっていますが)夜寝る前にやると、一日の疲れがとれるだけでなく、
すごーくいやだった会社での出来事が、気にならなくなる
という効果に気付きました。
たとえば、
「今日打ち合わせで、上司に嫌味を言われて、イライラする」
とか、
「顧客と会話がはずまず、どうやら他の会社の営業と話が進んでいるらしくて、焦る」
とか…
と本でも説明されていますが、その通りになります。
どうでもよくなるとか、忘れてしまうわけじゃなく、確かにいったん気持が落ち着いて、忘れるのですが、なにかの拍子に、前向きな次のアクションがでます。
上司のいうことにも理があるな、じゃあ、次のステップでは上司の意見=指示に従って動いて、その次のステップで機会があれば自分の意見が入るように試みてみよう。
顧客へのアプローチが甘かった。もっと顧客目線で、その会社のどこを気に入っていて、うちだったらどこをアピールできるか、チャート化して、立て直して攻めてみよう
とか、考えられるようになるんです。
夜の導引術が終わってほわっと気持よくて、あまりあれこれと考え事をしない状態になっているので、最初はその効果にも気付いていなかったのですが、あるとき、本に書かれていることを私の場合は東京<道>学院というトレーニングセンター(中国風、および後述する健康武術風に「道場」と呼ばれています)で先生から聞いていたのを、あとではっと思いだして、そういう状態に変わっていることに気付くわけです。
「あれ、おれ、気にしてないじゃないか…さっきまで大問題だと思っていたのに…いったいなんだったんだろう…」
という感じです。
さらに、道家動功術とは、健康武術で、洗心術とは、対話をとおして心構えや考え方を学び実践することなのですが、説明とその効果については、次のブログでふれることにします。
はじめに、では、冒頭に下記のように書かれています。
人間は幸せで、楽しい前向きな生き方をすると、どんなに大変なことがあっても、それを乗り越える力が湧いてくる
そうあってほしい、と、もちろん、心から願います。けれど、さて一体、どうやったら「楽しい前向きな生き方」ができるのか…それができたら苦労しない…
それにこたえるノウハウというかプログラムというか、メニューというか、が、この本でも紹介されている、老荘思想、タオの教え(すこしかたく言うと、道家の哲学)を実戦に応用できるよう練られた
「気の3つのトレーニング」
洗心術
気の導引術
道家動功術
なわけで、実践して何年か経ちますが、どれも、みごとに効果がありまして、私の場合はそれぞれ、月一回・日々・週一、二回という感じで定期的にやっています。
けっこう即効性があり、ビジネスライフに組み込んで活用して助かっています。
まず、導引術。
全身のさまざまな関節を、ふだん動かさない、いろいろな方向へゆっくり伸ばしていき、気のめぐりをよくしようというのが導引術
です。「気のめぐり」って、というのは、
たとえば肩こりがあったり、喘息で肺に問題のある人などは、そこで気が滞っていますから、水道管に詰まっているところがあると、水がチョロチョロしか流れないのと同じような症状になっています。 そうした人の場合は、少しずつ小さく気を使いながら生きては行けますが、その気のパワーは、全身に気をめぐらせている人に比べると、弱いものです。
というような感覚です。私的には、体の中がつまっている感じ、が、「気のめぐってない状態」で、その反対にすっきりしている感じが、「気のめぐっている状態」、さらにエネルギーがあふれている時が、「気がよくめぐっている状態」でしょうか。
で、その導引術を、(朝もやっていますが)夜寝る前にやると、一日の疲れがとれるだけでなく、
すごーくいやだった会社での出来事が、気にならなくなる
という効果に気付きました。
たとえば、
「今日打ち合わせで、上司に嫌味を言われて、イライラする」
とか、
「顧客と会話がはずまず、どうやら他の会社の営業と話が進んでいるらしくて、焦る」
とか…
導引では、つねに呼吸法を併せて行います。ふーっと呼吸しながら、ゆったりとした動きで行うのです。すると、ツボが刺激され、体が心地よくほぐれ、ぽかぽかと温かくなります。 このとき、全身にスッと気がめぐるのです。それによって、イライラしたり、悩んだりといった心の滞りまでが自然とほどけていき、その瞬間から気持が前向きになります。
と本でも説明されていますが、その通りになります。
どうでもよくなるとか、忘れてしまうわけじゃなく、確かにいったん気持が落ち着いて、忘れるのですが、なにかの拍子に、前向きな次のアクションがでます。
上司のいうことにも理があるな、じゃあ、次のステップでは上司の意見=指示に従って動いて、その次のステップで機会があれば自分の意見が入るように試みてみよう。
顧客へのアプローチが甘かった。もっと顧客目線で、その会社のどこを気に入っていて、うちだったらどこをアピールできるか、チャート化して、立て直して攻めてみよう
とか、考えられるようになるんです。
夜の導引術が終わってほわっと気持よくて、あまりあれこれと考え事をしない状態になっているので、最初はその効果にも気付いていなかったのですが、あるとき、本に書かれていることを私の場合は東京<道>学院というトレーニングセンター(中国風、および後述する健康武術風に「道場」と呼ばれています)で先生から聞いていたのを、あとではっと思いだして、そういう状態に変わっていることに気付くわけです。
「あれ、おれ、気にしてないじゃないか…さっきまで大問題だと思っていたのに…いったいなんだったんだろう…」
という感じです。
さらに、道家動功術とは、健康武術で、洗心術とは、対話をとおして心構えや考え方を学び実践することなのですが、説明とその効果については、次のブログでふれることにします。
ケース無料配布でアップル・ソフトバンクとの交渉から学んだこと… [実社会にて]
- kenkoh3Apple は、 #iphone4 #caseprogram でのクレームの際、けっして上司に電話を替わろうとしませんでした。防波堤の若い担当者が不憫です
- kenkoh3Appleも、Softbankも、頼んでもけっして文書で回答しようとしませんでした。言質をとられるからです。クレームの電話のときは、これから議事録をとらないと。日本も、海外並みに買い物で交渉が必要になってきたのかもしれません。 #iphone4 #caseprogram
- kenkoh3アップルiPhone4 ケースプログラムの写真 | http://kenkoh.blog.so-net.ne.jp/2010-09-20
- kenkoh3今回の学び。大企業は、個人に対して、自社に不備があっても、不利になることは決して認めないと再認識を。販売店は、信頼できるところかどうかを見抜く目を養うことが必要。そして、個人としては、接客態度が良くても、時間がなくても、「連絡はどこから来ますか?」などの確認が必須!でした~
- kenkoh3Softbank、実際にはテレコムサービス社ですが、ケースの返品、返金を求めました。2か月たっているので、できない、と。また、担当者は、『「自社ではお答えできません」と言ったと思っている』と。言った言わないの話にされました。 #iphone4 #caseprogram
- kenkoh3#iphone4 #caseprogram 期間外対応が認められましたが、型名・メーカー名・商品名リストを送ってきて、自分でgoogleで調べてください、と。特定できなかったのでURL送付を頼んだら、他企業のURLは提示できない、と。大企業は、自社の不利を認めない、のです。
- kenkoh3さらに、追加情報。Appleは、 #iphone4 #caseprogram の件で、全国的には、通知した地域と、通知していない地域があるそうです。
- kenkoh3Softbank「操作・不具合の問い合わせはAppleへ」の書面サインあり+AppleHP「ケースが必要なお客様には、無償でご提供」掲載あり⇒Softbank販売店員が問いかけた時「うちではない」と言えば、Appleにすぐに聞いたのに…謝罪で終わりでした #iphone4
- kenkoh3Softbankへは、購入前日にケースプログラム実施連絡が届いていと今日調べてわかったそう。購入時、傷つかないようにケース同時購入を勧められ、0円のケースプログラムではなく、お金を払って買いました。 #iphone4 #caseprogram
- kenkoh3Appleに連絡したら、「Softbankからメールが行くことになっていた」、Softbankに連絡したら、「そういう依頼は受けていない」。メーカーと販売店が、それぞれ「自分じゃない」と言って話し合わないでいたら、ユーザーは解決できないです!
- kenkoh3AppleStoreからケースプログラムアプリを入手して起動すると、購入から30日以内で実施が指定されていて、この機器はプログラムに該当しない、つまり、期限を過ぎているとのメッセージ。え、連絡がないのに、プログラム対象期間が始まっていて、期限を過ぎているの?
- kenkoh3i-Phone4を7/25に購入した際、ケースプログラムの連絡がAppleからないそうで、Softbankの勧められるままにケースを購入して連絡を待っていたら、いつのまにかプログラムが終わっていました。え”~
- kenkoh3so-netブログ、FACEBOOK、Twitterを連携してみました。重複が起きそうな予想です。使いながら整理していきます。