『世界史・驚きの真相』ヒトラーが自殺せずに南米に逃れた? [読書(ルポ)]
ちょっと前にかってあった本ですが、驚きというより、少し前に話題になった「ダヴィンチ・コード」のテーマ「聖杯伝説」も載っています。
この手の話は、マユツバでありますが、どこか真実を含んでいる気もするし、政府がらみの話になると、掲載の話はともかく、なにかと事実を違う角度から見せようとしますので、ありえない話ではないですよね。
本をアマゾンで見ていただいたら、「中身を検索」をクリックすると、目次が見られておもしろいので、見てみてください。
おもしろかったのは、タイトルにも書いたヒトラーが自殺はフェイクで生きてドイツを脱出して、南米のチリかアルゼンチンでドイツ人の若者と街を作り、生存していた、という話。
落合信彦さんが『20世紀最後の真実―いまも戦いつづけるナチスの残党 (集英社文庫)』のなかで、自分自身が南米に赴いて、チリの首都サンチャゴ市から350km南、パレルという街の、そのまたさらにジャングルの中に、厳重に警備された地域をみつけ、建物の写真を撮ろうとしたらフィルムを抜かれて、チリ警察が介入してくれて命を救われた、という逸話が残っているそうです。
冒険小説家トリスタン・ジョーンズも『The Incredible Voyage (Large Print)
(驚異の航海)』で、ボリビアの奥地にヨットクラブがあり、鉄条網にシェパードをつれた警備も巡回し、そこにいたのは全員ドイツ系住民だった、とか。
落合信彦さんのこの本は、いわゆるトンデモ本の代表としてよく扱われますし、ちょっとハードボイルド小説風な話ですよね。
私がこの話しが根も葉もない、ということもないだろうと思うのは、まったく別の織田信長の最期を主題にしたドラマからです。
(『信長の棺』を書いた)加藤広作『明智左馬助の恋』がドラマ化されたときのテーマで、
信長は危険への対処(今風でいうとリスクヘッジ)してあったので、
だから、少ない人数(部下を供回りといいます)で本能寺に泊まっていた。
襲われたときも、あらかじめ準備してあった脱出経路から抜け出した。
誰かが先に手を回していたので、失敗して、脱出途中で自害した?
という話があります。
そう、権力者は、本当にいさぎよく、自分で自分の命を縮めるようなことをするでしょうか?
戦国時代に武田信玄に屈し、自害した諏訪頼重のような例もありますが、それは諏訪家の再興を恃んでのことです。
そのくらい、自分かその子孫が生きる信念がなければ、生きる力にあふれる権力者は自分で命を縮めたりしないのではないかと思うのです。
これが作家や芸術家であれば、作品という自分の子孫を残しているので、思い残すところ無く潔く?自殺、ということも、あるかと思うのですが。
ヒトラーが生きていた話を、簡単にふれておきます。
- ヒトラーが自殺したという話は、二つのレポートにもとづきます。
- ソ連の捜査
- イギリスのロウパー大尉の捜査
- ソ連が最初に捜査に乗り込んで、その後イギリスが調査に来ています。よく言われているのは
- 結婚したばかりのエヴァと心中
- ヒトラーは銃で自殺。エヴァは服毒自殺
- ヒトラーの遺骸は
- ガソリンをかけて運転手が火をつけた
- 毛布にくるまれ、掘ってあった穴まで兵士が運んだ
- 歯科助手が金のブリッジでつながれた義歯のあごの骨がヒトラーのものであると証言
- 歯科技工士エイヒトマンも同じく証言
- しかし、それに反して下記のようなことも伝えられています
- ベルリンのどこにあったかもソ連は明らかにしていない。またエヴァの遺体が見つかっていないという証言もある。
- ヒトラーの遺骸に弾痕がなかったので、ソ連は後から服毒自殺と訂正。しかし、青酸中毒者に必ず起こる、口びるの青くなる症状が見られなかった。
- 遺骸については
- 運転手は後から次のように言っている
- 毛布からでている2本の足しか見ていない
- 「自分のみを守ることで精一杯だったから、アメリカとイギリスの関係者が望むような証言をしたんだ
- 兵士を含め、誰も実際に見たと証言したものがいない
- 運転手は後から次のように言っている
- 金ブリッジの義歯については
- 遺体を高温で焼いたら金も溶けて無くなるから、確認できないはず
- 歯科助手は直後にソ連の捕虜収容所に連行される
- 歯科技工士も捕虜収容所に連行される
- しかも、次のような話もあるのです
- 戦争直後のポツダム会議で、ソ連のスターリンがはっきりアメリカのバーンズ国務長官に答えている
- 「彼は死んでいない。スペインかアルゼンチンに脱出している。」
- ふつう死体を地面(穴の中)で焼くと、骨と肉の一部が焼け残るが、骨が残っていない
- カナダの法医学者ドリオン博士がヒトラー生前に口を開けた写真を調べ、相違点を指摘している
- 歯と歯の隙間が異なっている
- 歯根の処置や陶製の入れ歯も死体の写真に写っていない
- 義歯の処置も大きく異なっている
- アメリカCICが、二つのレポートの後の1945年7月に調べたところでは
- 穴には焼却した痕跡がまったくない
- ヒトラー夫妻が倒れていたソファには血痕があったが
- 血液型が一致しない
- ピストルの弾痕がどこにもない
- 戦争直後のポツダム会議で、ソ連のスターリンがはっきりアメリカのバーンズ国務長官に答えている
- ヒトラーがそっくり身代わりを殺し、自分が脱出したという説は
- もともと3人の影武者がいて、簡単な演説もしていた
- 自殺前のヒトラーは別人のように目がくぼみ、白髪、両手はがたがた震え、ふらふらして立っているのがやっと、言葉らしいことばを発せず、一人一人握手した
- 自殺から45分後、近くの空港で、飛行機給油中に、ヒトラーを、乗っていた通信兵が目の前で見た
- 未確認情報だが、アメリカ国務省の公文書第418号(1948年7月2日付け)にヒトラー逃亡作成の情報がある
この後、アルゼンチンにどうやってたどり着いたかも書かれています。
信じられない、といのもあり、今となっては、とにかくおもしろ話です。
それでも、繰り返しになってしまいますが、わたしは権力者はその権力が社会的に奪われない限り、または子孫に受け継がれる限り、自殺はしないと思っています。
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