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『東洋的CEO』企業経営は「道(タオ)」と「戦略(⇒囲碁)」で舞上れ [読書(ノウハウ)]


東洋的CEO

東洋的CEO

  • 作者: コルサック・チャイラスミサック
  • 出版社/メーカー: J・D・C
  • 発売日: 2010/11
  • メディア: 単行本



セブンイレブンとして日米に次ぐ世界3位の売り上げを誇るタイのグループ総帥である著者が、西洋ではなく、東洋における東洋らしい考え方にもとづく企業経営とはなにかを伝える、経営の指南書です。

はじめに、アメリカを中心とした、資本主義経営について…

ほとんどのアメリカの企業は、目標の数字がすべてという独自の文化にいまだに染まっています。これは株式を公開していて、四半期ごとの損益のバランスシートを報告しなければならないからです。ですから手に縄をかけられているようなものです。揺るぎない地位があり強い自信を持ち合わせ、「最高の利益の追求」主義に反対できる交渉力を持っているのは、ほんの一握りのCEOだけです。



資本調達のために、アメリカ的な株主至上主義を強めようとしている日本経済界は、株主との約束である利益主義を強いられています。

組織の成功が社員の力によって決まるとCEOが認識していれば、社員を大切にし育成するでしょう。孫子によれば、軍事力や不必要に疲れた兵士には重い負担をかけてはいけないそうです。現代は、ひたすら「ハードウェア」や「ソフトウェア」を重視し、「ヒューマンウェア」はたいてい無視されます。


私はビジネスにおいて最も重要な要素は人だと考えています。だから「東洋的CEO」の戦略は、「最高の利益をあげること」ではなく、「適切な利益」を求め「最高の力を発揮すること」に重点を置いています。最高の利益を上げることを強要すれば、社員は多大なストレスで、負担に耐えられなくなるかもしれません。


このような会社に勤められたら、社員は幸せですね。
そして、下記の文章が、この本でもっとも著者が伝えたかったことではないでしょうか。

両翼で大空を舞いあがる鷹のように、企業は「道(タオ)」と「戦略」で成功へと舞い上がらなければなりません。「道(タオ)」は心底にある道徳の道であり管理する力です。「戦略」は応用技術です。技術があっても「道(タオ)」がない経営では、組織に強い企業内文化を生み出すことはできません。また「道(タオ)」があっても技術がなければ効率よく目標を達成することができません。


「道(タオ)」と「戦略」…どちらがかけても、経営は成り立たないわけです。

もしCEOとして成功したいなら、この「道(タオ)」と「戦略」を学び、経営取り入れなければなりません。ここで肝心なのは、技術は「道(タオ)」という土台の上になければならないということです。もし「道(タオ)」について十分に学んでいなければ、戦略の技術を学ぶ順序も分からなくなります。するとしかるべき効力も得られなくなってしまいます。


私の見方で順序も変えていますが、著者は上記主題をベースに、東洋における企業経営はどうあるべきかについて、全体には下記の流れでこの本を書いていると読んでいます。

  1. 東洋で生きる会社である限り、経営は東洋的な考え方=道(タオ)=の土台の上に成り立つ。だから道(タオ)を学ぼう。
  2. そのうえで成長のためには戦略が必要である。それに一番有効な、=囲碁=を学ぶことをお勧めする。
  3. これらの上で、=ビジョン=見定め、=ミッション=なすべきことを策定し、実行に移せばよい。その実例としてセブンイレブンタイをあげている。


そして、囲碁を学ぶことによって、抽象的に見える「道(タオ)」の哲学、『老子道徳経』の文章を具体的に見えるようになるというような書き方をしています。

0.東洋的?
この本で「東洋的」といっている根拠を明確に説明する記述はないのですが、

「狩猟で暮らしていた西洋と違い、東洋ではほとんど農業を営んでおり、持ちつ持たれつの関係がそこから根付いた。だから人を大切にしつつ、東洋の叡智である「道(タオ)」の思想を土台に、それでも実績をつくることは当然必須なので、東洋で生まれた囲碁で戦略立案力を磨こう」

と解釈しています。

1.「道(タオ)」

道(タオ)を説く老子の思想で、なんでもほしがるだけじゃなく、ないってことも、今後には重要だ、という話です。

老子は空間がいかに有用であるかについてよく語りました。『道徳経』第11章で次のように詳述しています。

(訳+研航が読みやすいところだけ抽出します。()も研航追記です)

粘土をこねて、(陶器の)瓶をつくる。
なかがうつろ(からっぽ)だから(水など)物がいれられるのだ。

出入り口をうがって(壁に穴をあけて)部屋をつくる。
出入り口がうつろ(あいている)から、部屋が使えるのだ。
このように、「無(ないところ、あいているところ、空間など)」のはたらきがあるからこそ、
「有(粘土が瓶になり、木材が建物の部屋の枠組みになる)」が役に立つのである。



「だんなー、今日持ってきた瓶は、力作ですぜ。たっぷり粘土をつかっときやしたから、簡単には壊れませんぜ」
「おう、そりゃいいな、ちょっと見せてみろ、お、重くてよさそうだ…おい、肉厚どころか、中があいてねーじゃねーか」
「あ、中あけとくのわすれやしたぁ」

みたいな話、かな。

もっとちゃんとした、著者の挿話としては、「ベンツだって、室内空間がなければ乗れない」という話と、「講演のときにマイクを持っている右手で(人をさしたいとか)何かしたいときは、マイクを置いて、右手を空けないと」という話があります。

それに続いて、

囲碁の対局では、たとえば黒で打っていて中盤にさしかかってくると、目の前に大小約10の黒の一団(石のつながったグループみたいなもの)ができます。すると石を打とうとするたびにある種のプレッシャーを感じます。一手で一団すべてを同時に生かすことはできません。ましてやそれぞれの一団に気を配るなんて論外です。けれどもちょっとした捨石を用いれば、10のうち6は行かせるかもしれません。この方が対処しやすいと思いませんか。人生にも同じことが言えます。家庭や社会の問題であろうと仕事のプレッシャーであろうと、面倒な事柄や重荷が少しずつ蓄積していきます。特に経営者の場合、事業が破たんでもしようものなら、数々の問題を考えるには一日24時間ではとても足りません。だからときに自由になるだけの勇気を持たなければなりません。自らを解放する能力が必要となります。そうして初めて内部に空間が生まれ、新たなエネルギーを取り込めるのです。

()は研航駐

かつて、GEのジャック・ウェルチ氏が、ポートフォリオ分析を行って事業の取捨選択をし、いまではGE(ジェネラル・エレクトリック)社はエレクトリックつまり電気の会社ではなくなりましたが、引き続き繁栄しています。

そして、

老子も囲碁も自然には逆らってはいけないと説いています。 (中略) 老荘思想ではエネルギーを大切にするよう主張しています。欲深さや所有欲から、また大物にならなければならないといった思考を転換すれば、あまり物欲にとらわれなくなります。
そうすれば、何でもかんでもほしがり、集めるためにエネルギーを無駄遣いする必要がなくなります。
こうした道(タオ)の考え方は一般的な社会の姿勢と矛盾しています。そうは言うものの認めなければならない真実です。


自然な流れ、というのが、外の「自然」だけでなく、「自然な会話」とか、「自然な行動」とか、人にも当てはまるわけです。

あまり「どーしてもこうしたい、儲けたい」といった頭脳で考えた作為をもって行動すると、不自然な言動になり、エネルギーが要るだけでなく、長い目で見て不首尾に終わるものだという考え方があります。

その「どーしても」は、

・あきたという理由だけで、1回しか使っていないのに、まだ使えるのにカバンを買い替える。
・おしゃれな家に住まないと自分のステータスが下がっているように思えてならない、という理由で、生活に必要な以上の家に住む。

だけならいいものの、さらに、「その他、あれも、これも」と経済力や何かの限界を超えるまで買い続ける、または、そのためのお金を求め続ける…

つまり、「欲が自分のコントロール可能なを超えて、自分が振り回される。錐もみ飛行状態。」ことを戒めなければいけないんですね。

そういう意味では、「自分へのご褒美」という発想は、そんなに悪くないと思うんですよ。
限界を考える感覚があり、買う時の選別を大事にしているし、しばらく励みになるので。

どこまでは自然で、どこからが欲か、見極める、感じ取るようになるには、持って生まれた環境や才能、資質のほか、あとでご紹介する気のトレーニングが有効です。

2.囲碁について
私はこの黒と白の碁石についてあれこれ考えたり没頭したりして、生涯20年以上も費やしてきました。そして戦略を学び戦術を学び、「勝とうとせずに勝つ」という真理に到達しました。哲学的に考えてみると(こう言うと、たいていの人にとっては不思議な感じがするかもしれませんが)、このボードゲームは非常に奥が深いのです。
(略)
囲碁は、具体的かつ複数の要素からなる戦略を必要とする唯一のボードゲームです。だからこのゲームから、一つのことが別のきっかけになるということ、そして全体像に長期的な影響を及ぼすということが学べるのです。また囲碁から対戦相手の潜在能力を認識することができます。また何かを得るためには代償を払う必要があるということも悟らせてくれます。だからら囲碁から戦略をもって行動する方法、そしてポリシーを持って人生を送る方法が学べるのです。


さて囲碁は白と黒の最少人数で打てる(二人揃えば遊べる、という意味?)もっとも柔軟性のあるゲームです。これは常に変化を経験しなければならない人生によく似ています。碁石を打つたびに全体の背景が変わるのは、世界の人々の人生が絶え間なく移り変わり、予測できないのと同じです。囲碁は、自分ではどうすることもできない変わりゆく状況に直面する時の練習になります。ではこんなに不安定で変わりやすい人生をどのように生きていけばいいのでしょう。囲碁から道理を学んで指針にしてはどうでしょうか。

()は研航駐

この考えから、著者のコルサックさん(こっちが氏でいいはずですが)は、タイの囲碁協会会長をしているのでしょうか。

3.ビジョンについて

私はまずビジョンから始めるべきだと思います。「ビジョン」とは、一般の人々よりはるか先を広範囲にわたって見通す力です。私自身は、世界中に支店を持つ1000ほどの大企業が先導している現代社会のビジョンを持っています。こうした大企業は、多くの国々の社会経済政策だけでなく、一般人の生活にも多大な影響を与えるでしょう。
(略)
世界の動向についていくためには、タイは企業を大きく発展させ、グローバル化の流れに乗せる必要があります。
(略)
このようにビジョンとは、現在の仕事の範囲を超えて少なくとも3倍先を見通す力のことです。ビジョンがなければ、将来の業務拡大に向け適切な方向性を定めることができません。
素晴らしいビジョンは、一般的に社会の必要に応じて、企業の利益を超えた未来を思い描くことでもあります。一般の人々の要求を満たす企業は、かわりに国民の支持を得ることが多いからです。反対に企業の目標が国民にとって不利益になるなら、おそらく国民の反感を買い、企業は発展できなくなるでしょう。


そして後半で、経営者になったときに必要と著者が考える、老荘の哲学や、おそらく道家だった諸葛孔明のテキストからの言葉を引用し、最後に、タイ囲碁の発展の歴史を記して、この本は閉じられています。

途中で、著者の現代の戦争についての考えなどが混じり、読みにくいところもあるのですが、非常に高度な考えや実績に基づいた書であると思います。

なお、老荘思想について学びたい、実践に役立ててみたい、と思われた方がいらっしゃいましたら、最初に私の下記のブログをご参考ください。
また、囲碁については、この本の監訳者である、政光順二さんがたてている無料囲碁サイト「囲碁きっず」に飛び込んでみることも、お勧めできます。

老荘思想
『タオのひけつ』日々のビジネスライフにタオイズムを応用
『タオのひけつ』日々のビジネスライフにタオイズム~道家動功術編
『タオのひけつ』自然のままに生きることを心の健康にあてはめる

囲碁きっず
囲碁入門者の集まり『囲碁きっず!』で9路、13路盤仲間発見

囲碁きっず!
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