三国志(宮城谷昌光版)第3巻_英雄曹操の若き日のできごと [読書(小説)]
一度は三国志…そうおもってから、10年以上が過ぎました。
渡辺昇一さんの本で、ビジネスマンは一度は三国志という記事を
見て、初めて手を出してみました。
三国志は膨大な物語で、これはその第3巻に出てくる、もっとも好きな場面です。
この本は第2巻までは、後漢という国がいかに崩壊していくかを書いていますので、「組織がいかに機能しなくなるか」の勉強になりました。
3巻くらいから、その乱れに乗じて、または自分を守るためにいたしかたなく、地方の豪族や力のある武将がそろい始めます。
魏の曹操が、初めてほかのある武将に認められるシーンです。
場面は、朝廷の独裁者に対抗しようとする武将が軍を率いて集まっている、その夜のことです。
p201
「泰山の鮑氏が、ここに、きたのか」
近侍の者がおどろくほど大きな声でそういった曹操は、経緯と喜色をもってこの珍客を迎えた。
泰山の鮑氏とは何者であるのかということを熟知した落ち着きを曹操はもっており、そういう認識の篤さの上に活気にみちた表情を置いていた。
さらに客に接する容儀の正しさが鮑氏兄弟を感動させた。
鮑信(ほうしん)と鮑韜(ほうとう)は語るうちに、残っていた不快な気分が消え去るのを感じた。
-これは相当な人物だ。
と、おもった鮑信は、
「ひとつ気になることがあります。
ただしそれをいうと気分を害することになり、これまでの歓談がこわれます。
わたしは不明にも曹君の気質を呑みこんでおらず、苦言や諫言を嫌っておられるのであれば、いいません」
と、器量をためすようにいった。
曹操は自分の膝をたたいて笑ってから、
「直言をさけていたら、人は成長しない。
苦言や諫言は良薬のようなものだ、と殷の湯王がいっている。
たとえにがくても、呑まねば、病は治らない。
私の悪いところがどこか、遠慮なくいってもらいたい」
-袁本初とはちがう。
袁紹は苦言をききながそうとするので、人にたいする容が歪む。
それにひきかえ曹操は学生が師の訓戒をききのがすまいとするかのようなひたむきさをみせる。
そういう誠敬の態度をみせられると、発言する者も軽狡(けいこう)なことはいえない。
「では、いいましょう。わたしは諸将の営所を観ましたが、ここの営所だけが、粛然としていました。それはよいのですが、べつなみかたをすると、陰、なのです。陰である陣は、敗れにくいが、勝ちにくい。戦場では無為無効の陣になりかねない。すなわち曹君は、集まったばかりの兵に厳しすぎる軍紀をおしつけているからではないか、と愚考したのです」
「あっ」小さくはじけるように声を揚げた曹操は、
「兵書読みの兵法知らず、になるところでした」 と、頭を掻き、鮑信の微笑をさそった。鮑韜は肩をゆすった。
「これを合するに文をもってし、これを斉(ととの)うるに武をもってする。これを必取という。わたしは孫子の兵法を百回も読んでいるのに、官兵と義兵のちがいをわかっていなかった」
総率者は集合したばかりの兵に親しみをもたせる工夫をすべきであり、いきなり厳しい刑罰をおこなってはならないということである。しかしながら兵が総率者に狎れたあとに刑罰をおろそかにすると、兵は総率者に心服しない。その過程が正しければ、その軍は必取、すなわち必勝となるのである。それを鮑信は曹操に気づかせてくれたのである。
-異才だな。
と、鮑信をみた曹操は、話題を兵法にとどめず、(略)
ともに古学にくわしいので、たがいの顔が夕闇に沈んでもなお語りあったが、(略)
馬上の人となった鮑信は、昂奮が冷めず、
-これほど楽しいおもいをしたことが、かつてあったろうか。
と、おもえば、夜の冷気がかえってこころよかった。(略)
「世の中は広いな。曹孟徳こそは、天に昇るまえの龍だ。(略)世の中はさらに乱れ、天命を承けるのはかならず曹孟徳だ」
と熱い息を吐いた。
戦場にいこうとして、しかも軍を率いてきている武将だとして、少なからず気が昂っているのが、自然ではないでしょうか。
自分が勝とうとする気持ちを無理やりにでも前に出そうとしている。
そんなとき、謙虚になり、自分の失敗を笑い、薬にして、改善できる、その肝胆の大きさは、計り知れないことでしょう。
しかも、曹操はすぐに教科書、孫子の兵法の必要箇所をそらんじて、基本に戻ろうとする苦学生のようです。
つまり、こういう気持ちを常に持ち続ければ、ひとというのは大きくなっていくのではないでしょうか。
この「常に」というのが、もっとも難しいところで、「このくらいは…」と誰もが思うことなのではないでしょうか。
私が習っている導引術は、ちょうどこの時代にも中国で行われていたようです。
気の導引術で、気をととのえて、少しでもそのころの英雄に近づきたいものです。
コメント 0